国の上に立ち、多数の国々と諸民族を支配するという意味があり、皇帝の支配する国を帝国、皇帝を戴く君主政体を帝政と呼び、世襲の場合が多い。しかし、以上の諸点にはそれぞれ無視できない例外がある。
現代の日本語で「皇帝」とは、東アジアで使われていた秦の始皇帝を起源とする称号と、ヨーロッパで使われていた古代ローマのインペラトル、カエサルを起源とする称号の2つ、あるいはこれらと同等と見なされるものを指す。どういったものが同等かについて定まった基準はなく、時代や人により異なる。皇帝・帝国という概念を時代、地域に関わりなく当て嵌めていた時期もあったが、現在では無理に翻訳せずに元々の称号をそのまま使用する事が多くなっている。
東アジアの皇帝
東アジアの皇帝は、中国の歴史・思想と密接に関係している。
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「皇」と「帝」
「皇」という漢字は、「自」(はじめ)と「王」の合字であり、人類最初の王を意味している。中国の伝説で最初に中国を支配したのは、三皇であるとされている。また、「帝」という漢字は、元来、3本の線を中央で束ねるという意味(現代ではこの意味で用いる時は、糸偏をつけた「締」と表記する)である。ここから、宇宙の全てを束ねる至上神という意味で「帝」が用いられるようになった。至上神という意味での「帝」は殷人が用いたものである。殷人は、祖先や太陽・月・山河などを神として崇めており、これらの神々の内、最高位にあるものを「帝」あるいは「上帝」と呼んだ。殷の支配者は、亀卜(卜占の一種。甲骨文字を参照)で「帝」の意志を知り、その意志に基づいた神権政治を行った。後に、至上神という意味での「帝」から受託されて人間界を支配している支配者のことも「帝」と呼ばれるようになった。
「皇帝」の登場
『史記』等の伝統的な中国の史書によれば、中国の君主の称号は次のようであった。五帝・夏・殷の君主は、皆「帝」と名乗った。「帝」はこの世に同時に1人しかいない至尊の称号であった。周が殷を滅ぼした後、周の君主は「王」と名乗った。「王」もまたこの世に同時に1人しかいない至尊の称号であった。しかし、周王朝が衰えると、南方の楚が、自国の君主の称号として「王」を使うようになり、戦国時代に入ると、他のかつて周王朝に従っていた諸侯も「王」の称号を使うようになった。このころになると、「王」は至尊の称号でなく、単なる君主の号となった。また、戦国時代の一時期、斉王が「東帝」、秦王が「西帝」と称したこともあったが、すぐに「王」の称号に戻した。このような背景から「王」の称号が価値を落としたと見て、秦の王・嬴政が、他の王国を滅ぼした後、王を超えた称号として「皇帝」を名乗ったのである。これがいわゆる秦の始皇帝である。なお、考古学的知見などからは、殷の君主も「王」を称号としており、「帝」が君主の称号として用いられたことはないと考えられている。「王」以前の君主の称号として、「后」というものがあったということが考古学的発見や文献学的研究から分かっている。
「朕」という言葉はもともと広く自称の言葉として使われていたが、始皇帝は、「朕」という言葉を皇帝専用の言葉とした。他にも「制」・「詔」などの皇帝専用語も策定した。また、「王」の称号は用いられなくなった。