「東方問題」の成立時期をいつと定義するかは、文献によって異なる。「東方問題」の形成過程には3つの主要な契機があり、このいずれかを起点とする文献が多い:
1699年 カルロヴィッツ条約により、オスマン帝国がヨーロッパ諸国と条約を結ぶ。これ以降オスマン帝国は縮小・解体の時期を迎える。
1736年 露土戦争により、ヨーロッパの勢力均衡を維持するために、紛争の当事者以外が「東方」の問題に介入するという「東方問題」特有の形式が出現する。
1774年 キュチュク・カイナルジ条約により、ロシアがオスマン帝国内の正教徒の保護権を得る。ロシアがオスマン帝国に内政干渉して両国の紛争につながり、列強がそれに介入するという「東方問題」固有の構造が明確となる(同様に、条約締結の要因となった1768年露土戦争の開戦も「東方問題」も契機と捉えられる)。
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「東方問題」の中でも、ギリシャ独立戦争(1821?29年)が全ヨーロッパ規模での世論の喚起を促したこと、および、クリミア戦争(1853?56年)がヨーロッパ各国の政治に大きな影響を与えたことは、事実である。ただし「東方問題」がこの時期のヨーロッパ外交においてどこまで中心的な役割を果たしていたかについては一概に決めることができる問題ではない。特に、「東方問題」が比較的安定していた時期には、「東方問題」以外の問題がヨーロッパ外交の中心に語られることが多い。